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阪神タイガースが創設を決めた「若林忠志賞」は社会貢献活動やファンサービスで顕著な功績のあった選手に与える「グラウンド外のMVP」。球団創設時からの主力投手、監督も務めた若林忠志の功績を称えたものだ。「七色の魔球」と呼ばれた多彩な変化球を駆使する元祖頭脳派で、阪神であげた233勝は今も最多記録。球団歌やシンボルマークの作成にも関わった。戦後は今に通じる「タイガース子供の会」を立ち上げ、各種施設を慰問するなど慈善活動に努めた。東日本大震災を受け、「野球の力」が問われるいま、プロフェッショナルとしてのあり方を示した若林の姿勢が見直されている。若林の野球人生を振り返り、描いた「夢」を追ってみたい。(文中敬称略)

筆者略歴

内田 雅也(うちた まさや)

1963年(昭和38)2月、和歌山市生まれ。桐蔭高、慶応大から85年スポーツニッポン新聞社入社。アマ野球、近鉄、阪神担当などを経て97年デスク。01年ニューヨーク支局長。03年編集委員(現職)。04年から『広角追球』、07年から『内田雅也の追球』のコラムを執筆。11年1月、『若林忠志が見た夢~プロフェッショナルという思想』(彩流社)を上梓した。

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