1949年にはじまった2リーグ分立のゴタゴタで最も被害を被ったのが大阪タイガースであった。看板のダイナマイト打線の主力がゴッソリと毎日オリオンズに引き抜かれ、強力打線は歯抜け状態に陥ってしまった。
翌50年、タイガースは、心機一転をきしたのか、ダイナマイト打線のイメージの強い濃紺のユニフォームを廃止して、新たなユニフォームを採用する。
当時はホーム、ビジターの概念はなかったが、濃紺のユニフォームは主に遠征用に使用され、ほとんどビジター用みたいな使われ方をしていた。そこであとを引き継いだ新ユニフォームも同じ形で使われるコトになった。
胸マークにOSAKAを採用し、左袖には虎の袖章が入ったグレーのユニフォーム。胸マークの書体は違っていたが、戦前の創設期に使用されていたグレーのユニフォームの雰囲気を踏襲していた。おそらく猛虎復活を祈ってのOSAKAマークの復活だったのだろう。
ちなみに虎の袖章も戦後はじめての復活だった。
現在はホーム、ビジター用両方の袖につけられている虎のマークだが、原点はグレーのユニフォーム専用の袖章で、70年代まではビジター用のみにつけられていた。
しかしこのユニフォームは翌51年の開幕戦からしばらくは使われていたが、オールスター前には姿を消してしまう。
オールスターに出場した松木謙治郎監督以下選手たちが着ていたのは、ラインも虎のマークも姿を消したシンプルなユニフォームであった。
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