それは1985年4月17日、本拠地甲子園球場で行われた対読売ジャイアンツ戦からはじまった。
1対3とリードされた7回ツーアウト、ランナー一、二塁から、信じられない出来事が起こる。
それまで好投していたジャイアンツ槙原寛己投手のストレートを、3番R・バース選手が狙い打ち。打球は甲子園最深部のバックスクリーンに飛び込む3ランとなった。
つづいて4番掛布雅之選手が、やはりバックスクリーンへ2試合連続のホームラン。そして連発の驚きがさめやらないうちに、今度は5番岡田彰布選手の打球もバックスクリーンへ。
いわゆる伝説のクリーンアップ・バックスクリーン3連発である。これはまさに85年の阪神タイガース快進撃の狼煙だった。
2003年のシーズンも、横浜ベイスターズの吉見祐治投手から濱中おさむ、片岡篤史、G・アリアス3選手のバックスクリーン3連発があったが、優勝するときというのは、こういう信じられない出来事が起こるものだ。
85年のシーズン、タイガースは広島東洋カープ、読売ジャイアンツとデットヒートを繰り返していたが、8月27日に首位にたつと、そのまま快調に飛ばして、9月11日にはマジック22が点灯。そして10月16日、ついにリーグ優勝を決めた。
この1年前の84年から、タイガースはユニフォームをモデルチェンジしていた。
ホーム用は82年から球団創設時に使用されていた縞帽子が使用されるようになって、伝統回帰のスタイルが採用されていたが、84年のモデルチェンジではビジター用ユニフォームにも創設時に使用されていたグレーの縦縞ユニフォームが登場していた。
グレーの縦縞は創設時から戦時中の一時期を除いて、戦後すぐのダイナマイト打線登場の48年あたりまで使用されていたが、その後、姿を消し、このときが久々の復活だった。
一方、ホーム用は背番号の書体など一部に手を入れてモデルチェンジが行われていた。
85年はリーグ優勝のあと、日本シリーズではパ・リーグの覇者西武ライオンズを4勝2敗で撃破。このユニフォームは日本一のユニフォームとなったのであった。
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