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1935年12月10日、日本最大のボールパーク、甲子園球場を所有する阪神電鉄が商号「大阪野球倶楽部」、球団名大阪タイガースを結成した。
タイガースというニックネームは電鉄社員による公募で決まったが、阪神電鉄の沿線が日本有数の阪神工業地帯なので、同じアメリカの大工業地帯であるデトロイトをフランチャイズとする大リーグのタイガースを意識した命名でもあった。つまり「東京のジャイアンツがニューヨーク・ジャイアンツなら、こっちはデトロイト・タイガースだ」というわけである。そして日本職業野球連盟が創設された翌36年、大阪タイガースは縦縞のユニフォームでリーグ戦に登場した。近頃は縦縞のユニフォームを使用している球団も多いが、36年の連盟創設のシーズンから採用していたのは唯一タイガースのみ。その歴史は古い。まさに日本球界の誇る伝統のユニフォームである。
縦縞を採用した理由に関するはっきりとした資料は、今のところ見つかっていないが、理由のひとつとして考えられるのは、やはりユニフォームもデトロイトのタイガースを参考にしたのではないかということである。
現在、デトロイト・タイガースが使用しているのは無地のユニフォームである。特にDの胸マークのついたホーム用は大リーグの中でも伝統のユニフォームのひとつと言われている。
しかしこのユニフォームが定着する以前に、デトロイトのタイガースは縦縞のユニフォームを何度か使用している。
特に創設期の大阪タイガースのユニフォームとよく似ているのが、31年に登場し33年までの3年間にわたって使用された縦縞のユニフォームだ。
ホーム用の白もビジター用のグレーも縦縞で、Detroitという胸マークが斜めに入っていた。これはTigersと斜めに胸文字を入れている大阪タイガースのユニフォームのまさに原型という雰囲気がある。
31年から33年というと、大阪タイガースが創設される数年前。現在のようにアメリカの情報が瞬時に届く時代ではなかったので、数年の時差があったのかもしれない。
34年になるとデトロイトのタイガースは縦縞をあっさり廃止。それ以降は無地のユニフォームしか着なくなってしまった。つまりあちらのユニフォームの歴史では、ごくわずかな期間のみ採用された縦縞。それを日本のタイガースが踏襲し、伝統となって残ったとすると、なんだかそこには運命の素敵ないたずらみたいなモノを感じてしまう。
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