各球団にはそれぞれゲンのよいユニフォームというのがある。
阪神タイガースが1991年から2000年にかけて使用していたユニフオームは、まさにそのはずだった。
タイガース・ファンにとってけっして忘れるコトの出来ない、あの85年の優勝。このときのユニフォームと同じデザインが使用されていたのである。
そもそもこのデザインが登場したのは84年。で、翌年優勝を果たしたワケだが、88年にデザインのマイナーチェンジが行われていた。
87年いっぱいで吉田義男監督が退任、その後任として就任したのが村山実監督だった。
吉田監督時代の優勝ユニフォームは上着がVネックのプルオーバーだったのだが、村山監督の就任後は前開きボタン・スタイルとなる。
しかしこの前開きスタイルは村山時代の2年間と、そのあとの中村勝広監督の時代に1年間の計3年間にわたって使用されたが、成績の方は最下位か5位と振るわなかった。
そこで中村監督2年目の91年から、元のゲンのよいプルオーバー・スタイルに戻される。
それが功を奏したのか、翌92年は前年の最下位から一躍2位(読売ジャイアンツと同率)に躍進。ヤクルトスワローズと優勝争いを繰り広げた。この年タイガースは「チャレンジ」をキャッチフレーズに掲げ、チームの変身を図り、亀山努、新庄剛志らの新鮮な戦力が台頭してきた。甲子園球場からラッキーゾーンを取り払ってグランドが広くなったのも、いい影響を与えたようだ。
しかし残念ながら好調だったのはココまで。その後はBクラスを低迷する。中村監督は95年のシーズン途中に藤田平監督にバトンタッチするも、藤田時代は2年連続の最下位。そのため85年優勝の吉田義男監督の再登場となったが95年の5位が精一杯で、あとは最下位。で、99年、ヤクルトスワローズ監督を退任した野村克也監督が就任する。だが、それでもチームの低迷状態は変わらなかった。
この野村監督の提案で1999年いっぱいでホーム用に使われていた縞帽子が廃止となり、2000年からはビジター用の黒い帽子をホーム・ゲームでも使用するようになる。
そしてついに01年、ビジター用がモデルチェンジ。ホーム用も再び前開きボタン・スタイルにマイナーチェンジされた。
この新ユニフォームが新たなゲンのよいユニフォームとなる日は近いかもしれない。そんな予感もさせる今シーズンのタイガースの戦いぶりである。
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