2001年、阪神タイガースがユニフォームをリニューアルした。2000年までは91年に復活させた85年優勝時のプルオーバー・タイプを使用していたのだが、このとき一気にホーム用もビジター用もリニューアルが行われた。
そもそも85年優勝時のユニフォームが採用されたのは84年。そして1年後に優勝を果たした。しかし88年に村山実監督が就任し、プルオーバー・タイプを前開きのボタン・タイプに改めた。ところが成績は低迷。91年に元のプルオーバー・タイプに戻す。するとまた、1年後の92年にタイガースは息を吹き返し、ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツと最後まで優勝争いを繰り広げたのである。残念ながら優勝は逃したものの、プルオーバー・タイプがチームにとってゲンのいいユニフォームであるコトを証明した形となった。
だが、その後チームは低迷を続け、ゲンのいいはずのユニフォームも精彩を失っていった。そもそもプルオーバーという形も流行遅れ。99年に就任した野村克也監督も、ユニフォームのモデルチェンジを口にしていた。
そしてついに2001年のシーズン、モデルチェンジが行われたのであった。
ホーム用は従来のプルオーバー・タイプを前開きのボタン風(実際は上のボタンだけ外して脱着するスタイル)にしただけなので、それほど大きな変化はなかったが、大きく変わったのがビジター用だった。84年から使用してきた縦縞を廃止。グレー地に白と黒の前立てラケットラインをアレンジしたデザインに改められた。
このビジター用ユニフォームはふたつの部分で話題になった。
ひとつは袖章の虎のマークにモノトーンを使用したコト。 このデザイン処理については「画面に虎のマークが大写しになったら白黒、一瞬、テレビが壊れたのかと思った」とか、チームの低迷から「虎が青ざめちゃった」などなど、当時はいろいろ言われたが、デザイン的には面白いという評価もあった。しかし結局、モノトーンの虎は1年で廃止され、2002年、再びカラーとなって血色が戻った。
それともうひとつの話題が背ネームの廃止で、こちらはニューヨーク・ヤンキースのスタイルなどから影響を受けたようだが、あまり意味はなく2003年には再び背ネームは復活を果たした。
そんな背ネーム復活の年、阪神タイガースは18年ぶりのリーグ優勝を果たし、新たなゲンのいいユニフォームが誕生したのであった。
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