掛布、バース、岡田のバックスクリーン3連発、21年ぶりのリーグ優勝、2リーグ分立以来初の日本一……。優勝から遠ざかるとグラウンド外の話題で世間を賑わるようになり、ファンからも見放され掛けていた阪神タイガースは1985(昭和60)年、シーズン前の下馬評を覆しての快進撃を演じ、日本中に「虎フィーバー」という社会現象を引き起こした。
2009(平成21)年、タイガースは交流戦用の限定ユニフォームとして、日本一に輝いた栄光のユニフォームを復刻する。当時の1番打者で、この年から指揮を執る真弓明信監督は「このユニフォームで85年同様にシーズンも勢いに乗っていきたい」と意気込みを語った。しかし交流戦では9勝13敗2分の9位。さらにペナントレースも64勝73敗4分と2004(平成16)年以来の負け越しを喫し、2007(平成19)年の導入以来2年連続で出場していたクライマックスシリーズの進出を逃してしまう。7月までは5位と低迷していたが、8、9月に盛り返し、東京ヤクルトスワローズと熾烈な3位争いを繰り広げる。しかし10月8日、9日の直接対決に敗れ、4位でシーズンを終えた。
真弓監督は就任時に「守りの野球」を掲げ、失点、防御率とも前年より向上し一定の成果を収めた。誤算だったのは野手陣の不振で、規定打席以上で打率3割を超えた選手が一人もいなかったことに加え、総得点も前年より減少。さらにはエラーが前年に比べ24個も増え、投手陣の足を引っ張った。
この年の3月、道頓堀の河川調査で、85年の優勝時にランディ・バースに見立てられて道頓堀川に投げ込まれたカーネル・サンダース像が発見、引き上げられた。長年、「カーネル・サンダースの呪い」と言われ、タイガースが優勝できないのは、行方不明のカーネル像のせいと言われていた。このカーネル像は復元後にケンタッキーフライドチキン阪神甲子園店に展示されている。85年当時の指揮官、吉田義男は発見を聞き、「歴史が終わったと感じた。当時は(優勝が)社会現象を起こしたからね。それから暗黒の時代もあった。今は阪神はプロ野球を引っ張っている。85年を思い出し、2度目の日本一の悲願を達成してほしい」とのコメントを発表。後にカーネル像との対面も果たしている。呪いもとけたはずだったのだが・・・・・・。
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